前2千年紀後半中近東世界の国際関係

目次

  1. 「大王」のコミュニティ
  2. 外交活動
    1. 「家族」としての関係
    2. 「条約」の関係
    3. 外交における結婚
  3. 交易

1. 「大王」のコミュニティ

前2千年紀後半(およそ前1500年から前1200年)の中近東世界は「グローバル」な時代であった。東はイランから西はエーゲ海、北はアナトリアから南はエジプトにいたる地域に、広い領域をもつ大国が成立し、各国は競合しながらも対等な国として外交関係をもっていた。そのような大国は、エジプトやメソポタミア南部のカッシート朝バビロニア、アナトリアのヒッタイトであり、メソポタミア北部・シリアでは当初はミタンニ、前14世紀にはアッシリアがこれに続くこととなった。また、これらの大国の間に位置するシリア・パレスチナには、大国に従属する都市国家があった。

前13世紀ごろの古代中近東世界

古代中近東世界では、前16世紀末から15世紀にかけて各地に勢力が拮抗する領域国家が成立するようになっていた。エジプトと、メソポタミア南部を中心とするバビロニアは、単なる複数の都市の集まりではなく、地域的な広がりをもった国家であった。また、シリア北部ではミタンニ、アナトリア中央ではヒッタイトという新しい勢力が台頭し、それぞれの地域全体を統一する国家となっていた。そのような世界的な潮流に対し、例外であったのがシリア・パレスチナの地域であった。この地域は、周辺の領域国家の間に挟まれた緩衝地帯となっていたため、エジプトとミタンニ、のちにはエジプトとヒッタイト、そしてその背後にアッシリアの狭間で時々の情勢に左右されていた。

2. 外交活動

各国の支配者らは諸外国との外交関係を維持するために、使者を往来させ、国際語であったバビロニア語で書かれた書簡を(使者が外国の王の前でそれを口頭で読み上げるよう)交わしていた。エジプトでは、前14世紀に王アクエンアテン(アメンヘテプ4世)が新都アケトアテン(現テル=エル=アマルナ)に遷都した時代に彼とその父親アメンヘテプ3世が諸外国の支配者らと交わした国際書簡が見つかっている(「アマルナ書簡」)。この350枚もの書簡群は、主にシリア・パレスチナの属王からエジプト王に向けて書かれたものであるが、その内、約40枚はエジプト王が自らと対等とみなした、バビロニア・アッシリア・ミタンニ・ヒッタイトなどの「大王」宛、あるいは「大王」から届いた書簡であり、前14世紀アマルナ時代の国際関係を理解する上で重要な史料となっている。また、ヒッタイトの都ハットゥサの遺跡からは、ヒッタイト王が各国の支配者と結んだ多くの「条約文書」が見つかっており、それらの文書からもアマルナ時代後の国際関係を垣間見ることができる。

アメンヘテプ4世の胸像
エジプト考古学博物館所蔵(2016年3月撮影)

2.1 「家族」としての関係

当時の支配者たちは世界を「家」のように、各国の支配者たちを「家族」のように理解していた。対等な地位にある王たちは互いを「兄弟」と呼び、劣位の王は自らを「臣下」と名乗るなど、各国支配者の地位は呼び方でも区別されていた。しかし、たとえばミタンニが衰退する中でアッシリアが政治的・軍事的に台頭してくるなど、世界情勢は刻々と変化したため、パワーバランスは一定ではなく、時にあつれきが生まれることもあった。 ただし、当時の大王たちが交わした書簡の内容は、政治問題よりも使者や贈り物、王女の政略結婚に関する話題に重きがおかれていた。

2.2 「条約」の関係

国と国との関係は成文化されていた。国を体現する支配者の間で合意に至った内容は「条約」(と現代の研究者が呼ぶ文書)に記されていた。そのため、支配者の交替があった際には、「条約」は更新されなければならなかった。現存している「条約」は、ヒッタイトの都ハットゥサから出土したものが中心ではあるが、支配者の関係性を文書化するという慣習は中近東全体で一般化していたと考えられる。

「条約」には、対等な国の支配者間の条約と、大王とその属王との間の条約という二つのタイプがあった。対等条約は、大国間の深刻な対立の後か特定の目的のために締結されたようである。そのため例は少ないが、最たる例はヒッタイトとエジプトがシリアの都市カデシュで戦った15年後、ヒッタイトのハットゥシリ3世とエジプトのラメセス2世の間で締結された、いわゆる「カデシュ条約」である。この条約は両国でほぼ同内容の書板が作成され、調印の上、交換されることで締結された。現存する条約は、ヒッタイト版(エジプトで作成されヒッタイトにもたらされた書板のコピー)と、エジプト版(ヒッタイトで作成されエジプトにもたらされた書板のエジプト語翻訳版)という二つのバージョンがある。条約において両者は、完全な対等性を認め合い、相互に攻撃しないことや、外敵から攻撃を受けた際の相互援助、それぞれの領土に逃げ込んだ人々を引き渡すことを約束している。

ヒッタイトのハットゥシリ3世とエジプトのラメセス2世が結んだ「カデシュ条約」
(イスタンブール考古学博物館所蔵)

宗主である大国の支配者と属王との「条約」は、現存する文書のほとんどがヒッタイト王によって締結されたものである。詳細は条約によって異なるが、基本的な構成要素はいずれも共通している。アナトリアとシリア北部にあったヒッタイトの属国の支配者たちは、宗主であるヒッタイトに対する貢納と軍事派遣の義務を負うとともに、特に他の大国と外交関係を結ぶことを禁じられていた。また、属王はヒッタイトからの逃亡者を本国へ返さなければならなかった(一方でヒッタイト王には属国からの逃亡者を返還する義務はなかった)。さらに、ヒッタイト王に対して忠実であることも義務づけられた。最後には、ヒッタイトと属国で信仰されているすべての神々の前で、これらの規程を遵守することに誓いが立てられた。

2.3 外交における結婚

外交上の結婚は、二国間の関係を強め、擬制的な家族関係を基礎とする国際体制への帰属意識を高める手段であった。アマルナ書簡からは、エジプト王は諸外国の王女を迎え入れることに熱心であったことがわかる。ただし、エジプト側は自国の王女を外国人と結婚させることはなく、これには他の王たちから不満をもたれていたようである。それでも各国の王女がエジプトに送られたのは、エジプトの独占していた金が婚資として送られることが期待されたためであった。一方、エジプト以外の王たちは政治的同盟を強化するために王女たちを結婚させていた。たとえば、ヒッタイト王は大国の支配者だけではなく、条約を締結した属王と王女を結婚させることがあった。

しかし、結婚が各国の情勢に深刻な影響を与えることもあった。たとえば、バビロニア王ブルナ・ブリアシュ2世は、アッシッリア王のアッシュル・ウバリト1世の娘ムバリタト・シェルアと結婚している。しかし、彼らの息子で後継者であったカラ・ハルダシュが即位後に暗殺されると、アッシュル・ウバリト1世はバビロニアへ軍事介入し、ブルナ・ブリアシュ2世の別の息子クリガルズ2世を擁立するということがあった。また、ヒッタイトとエジプトの間でも結婚をめぐる問題が起こった。おそらくツタンカーメンの妻アンケセナーメンは、未亡人となった際、ヒッタイト王スッピルリウマ1世に息子の一人を要求して夫にすると申し出てきた。当初は懐疑的に思っていたスッピルリウマ1世であったが、要求の真偽を確かめた上で、王子ザナンザをヒッタイトからエジプトへ送ったが、その途上で暗殺された。これはおそらくヒッタイトとエジプトの同盟をよく思わないエジプト王室内の派閥によるものであったと考えられている。この一連のエピソードは、エジプトの王家の女性が外国人との結婚を試みたという点でも、王女ではなく王子が異国の王室に送られた点でも非常に珍しい事例である。

3. 交易

各国の支配者たちは、使者や王女だけでなく、さまざまな贈り物の交換も行っており、書簡の中でもその話題は頻繁に取り上げられている。贈り物の交換には、支配者間の絆を維持し、国際的な存在感を強めるという「名声」を得る目的と、自国にない豪華な品々を手に入れ「利益」を得るという目的があった。このような取引では、相互性が重視され贈り物を受け取った側はほぼ等価のものでお返ししなければならなかった。

王室間の贈り物の交換を基礎とする交易システムは中近東世界全体で品々の循環を生み出した。エジプトは各国に金を送り、その返礼としてエジプトには馬や銅、工芸品などが送られていた。エジプト以外の支配者たちの間でも贈り物の交換が行われており、銅を保有した地中海のキプロス島の国アラシヤや、ラピスラズリの鉱山を有したバビロニアはそれぞれの鉱物資源を送っていた。また、メソポタミアやシリアの国々はさまざまな工芸品や織物を贈り物とすることがあった。

贈り物の交換は支配者による公的な贅沢品の取引であったが、実際には私的な交易も含め、広域な交易ネットワークができあがっていたと考えられる。特に東地中海での海上交易は活発で、商船は反時計回りに沿岸線に沿いに航行していたと考えられる。シリア西部を出発点とすれば、そこから西へキプロス・アナトリア南部、エーゲ海地方とギリシア本土沿岸地域を通り、南下してクレタ島から北アフリカのリビア沿岸沿いに東へと戻って行くことになっただろう。このような地中海交易ネットワークがあったことは、アナトリア南部沿岸のウルブルンで発見された前14世紀末の沈没船から理解される。沈没船の積荷は国際色豊かで、商人たちは各港で船内の商品と引き換えに新たな貨物を積みながら航行していたと考えられている。

参考文献

Bryce, T .R. Letters of the Great kings of the Ancient Near East: The Royal Correspondence of the Late Bronze Age, London and New York, 2003.

Liverani, M. International Relations in the Ancient Near East, 1600-1100 BC. Basingstoke, 2001.

Miroop, M. van de, History of the Ancient Near East ca. 3000-323 BC (3rd edition), Oxford, 2016.

Podany, A. H. Brotherhood of kings: How International Relations Shaped the Ancient Near East. New York, 2010.

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